■ Hello School Library 一般作品(詩)■
Hello Schoolが選んだ一般の方の作品です。
  





作品の著作権は作者が保持します。無断転載を固く禁じます。
朗読 ベンジャミン (MP3 1.51MB)
 東京ベンズカフェ
  朗読コンテスト 複数回入賞
朗読 Tanpopo (MP3 1.31MB)
 インターネットラジオ 「ぽぽの放送」担当
Windows Media Playerが立ち上がるので、画面を小さくするか隠したりして、
本文を見ながら聞くと効果的です。
形式…口語自由詩  主題…「日常に対する自己の方向性」
主な表現技法…反復法
 この作品は縦書きによる雪のイメージを強調するため、特別に縦書き表示にしました。
解説

※はじめに
詩というものは、読み方は自由であり、ここで解説する内容はあくまでも作者・編者の主観によるもので
あることを予め記しておきます。


読み取って欲しいこと
この作品に限らず、私の詩は「読者の自由度の追及」が大きなテーマです。
言葉というのは、人によって微妙に意味が違ってきてしまうので、作者がテーマを決めて、それを読者に
伝えようとするのは難しいと思うので、むしろ色々な人が色々な解釈ができるような詩が書きたいと
思っています。
(もちろん、その難しいことにあえて挑戦するというのもひとつの書き方です)

この作品の中では視点を変化させることによって、
「遠くにいる人を想っているのは」誰か、部屋にいる人、列車にいる人、あるいはどちらもがお互いに、
とどの解釈もできるように、それによって感じられることも様々であるようにしました。
(はじめからそれを狙ったわけではないのですが、結果的にそうなっています)
この詩を読んで、「寂しい」「悲しい」と思っても「暖かい」「じーんとする」と思っても、どれでもいいです。
この詩から読み取れることが固定されてしまったら、私の力不足、というところです。

私は、詩は、音楽のように感じるもの、さらに、作者が作るものではなく、詩と読者の間に立ち上る蜃気楼
だと思っています。
作者としては、ただ舞台を作るだけで、演奏したり、観客だったりは、詩と読者にお任せしたいという気持ち
です。
作者のことは気にせず、是非、あなただけの「あなたにしか読めない世界にたった一つの詩」を完成させて
ほしいと思います。

この作品について自由度のためのどんな技術を使っているのかは、(書くときはあまり意識していませんで
したが)参考までに以下に書きます。
作品の自由度が奪われてしまうかもしれないので、興味のない方はむしろ読まれない方がいいと思います。


技術について

遠くにいる人を想っている

ここで「私は」と書かないことで、読者はあたかも自分が遠くにいる人を想っているような気分にちょっと
なるのではないでしょうか。
詩の中で「私はこうだった、ああだった」と書くと、自分の日記みたいになってしまい、読者の自由度が奪わ
れる気がするので、私はあんまり使いません。

列車は・・・の部分

ここでは列車→雪という「遠景→近景」、列車の速度、蹴散らされる雪→静かに舞い落ちてという「急→緩」
という変化をつけ、さらに「舞い落ちて」「落ちて」「落ち」で雪が舞い落ちながらだんだん消えていく様を
字数を減らすことで表現していますね。
こういった変化をつけていくと、読者は飽きずに読めるのではないでしょうか。
また「ochi」という音の響きには、「落ち着く」「おうち」「お乳(!)」と思いつくままに書いても、何か「安心感、
静かな感じ」をかもし出すものがありますね。
この詩は落ち着いた雰囲気であることをお知らせしています。

窓辺に・・・の部分

ここでは列車の中(あるいはどこかの部屋の中)に視点がぐっと寄って行きます。
外から中への視点の変化です。
さらに「ついでに好きな人の名前を書いては」で、読者の共感を呼ぶわけです。
この辺でもう読者はよし、最後まで付き合おう、という気持ちになるのではないでしょうか。(わからないけど)
ここでも「すぐに消して」「消して」「消し」で何かがだんだん消えていく様を表現しています。
ここで何が消えていくのかはお任せです。
全てを説明せずに読者にお任せです。
「keshi」という音の響きは何か「寂しい、消え行くような感じ」がありますね。

透明を・・・の部分

ここでは全体的に薄暗い雰囲気の中、街灯の明かりという「暗→明」という変化をつけています。
ここでも「見えるようになり」の繰り返しです。
詩ではよく繰り返しを使います。繰り返し(リフレイン)には、リズムを作り出し、読みやすくする、
読者が安心して読める、あるいはその部分を強調する、という効果があるようです。

次の連も繰り返しです。

が、前の連では
「列車へ」「薄暗い手元が少し見えるようになり」次の連では「部屋へ」「薄暗い手元は少し見えるようになり」
となっています。
前者は客観、後者は主観です。「手元が」と「手元は」でもそれを表しています。
前者は読者は高いところから列車の中をを見下ろしています。
後者は読者は自分のことのように、部屋の中を見ています。
列車の中から部屋の中への視点の変化です。
この詩の話者は、列車の中ではなく、部屋にいて遠くにいる人(列車の人?)を想っているのかもしれません。

ここでは「見える」を消えていくように書いています。そうすることによって、「見える」という明るい響きを持つ
言葉が「見えなくなっていく」逆説的なもどかしさ、「想う」ということの「もどかしさ、見えなさ加減」という効果
が出せるでしょうか。

列車がまたすべるように過ぎてゆく

前の「部屋へ」の連を受けて、「部屋から列車を見ている人」の視点になります。
最初は漠然と「列車が過ぎて行ってるんだなあ」と思うだけだったのが、読者は最後の方では部屋にいて
列車を見ている、遠くにいる人(列車の中にいる人)を想っている人になるわけです。
始めは外から列車を見る、から最後は中から列車を見る、という視点の変化です。

遠くにいる人を想っている

では、最後で、遠くにいる人を想っているのは、列車の人、部屋の人、どちらでしょうか?
また、始めに遠くにいる人を思っているのは?
どちらとも取れるように、またはどちらもお互いを想っていると取れるように、
こんなふうにして、視点を何度も変えました。
その他の部分は読者(主には自分。自分という最も厳しい読者が常にいます。)
を飽きさせないように、静かな感じを保つように、と書いています。

あと、「遠くにいる人を想っている」と、最後と最初に同じ主題を繰り返しましたが、それはクラッシック音楽
ではよくあることです。主題を繰り返すことによって、「終わるぞ」感が高まり、ある種の感慨深さを導くのだ
と思います。

全体的な見た目としては、
言葉の字数を減らしていく縦書きの繰り返しによって、雪が降っている感じを
視覚的にかもし出している
、と思うのですが、いかがでしょうか。

作者…ふるる
 「現代詩フォーラム」主軸投稿者。  メインサイト…ふるるの詩のおきば
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