■ Hello School 社会科 歴史(ハロ歴) No.15 明治時代 (3) ■
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1.日清戦争と日露戦争
 1890年以降、綿工業など、繊維工業を中心に軽工業が発展し、第1次産業革命
始まっていた。

 この頃、日本は朝鮮の支配権などをめぐり、清と対立していた。1894年、朝鮮南部
で農民が反乱し、甲午農民戦争を起こすと、鎮圧を名目に日本、清が軍隊を送り、
日本の朝鮮改革案を清に拒否されると、日本は清に宣戦布告をし、
日清戦争
始まった。

 日清戦争は日本の勝利に終わり、1895年、
下関条約が結ばれる。この条約で、
日本は
台湾遼東(リャオトン)半島をゆずりうけ、日本円にして約3億1000万に
なる
賠償金2億両(テールを得ることができた。

 しかし、満州や朝鮮進出を考えていたロシアは、フランスとドイツをさそって、遼東
(リャオトン)半島の返還をせまり、日本はこれを受諾した。このロシアの勧告を
三国
干渉
いう。

 日清戦争で得た賠償金の一部で、1901年、福岡県に
八幡製鉄所をつくり、重工業の発展をうながした。これを第2次産業革命
という。しかし、第2次産業革命は、工場近隣の農作物に影響を与えたり、女子労働者を低賃金・長時間労働などの問題を引き
起こした。栃木県の
足尾銅山鉱毒事件は衆議院議員の田中正造による天皇への直訴は、日本最初の公害事件として、また、
細井和喜蔵の「
女工哀史」はこの頃の様子をあらわしている。

 三国干渉によるロシアに対する反感が強まる中、1902年、日本はヨーロッパでロシアと対立していたイギリスと
日英同盟を結び、
ロシアに対抗した。

 1904年、満州と韓国(1897年、朝鮮から改称)をめぐって日本とロシア
日露戦争が開戦した。日本は、東郷平八郎の指揮する海軍が日本海
海戦でバルチック艦隊を破るなど、各地で勝利したが、戦争が長期化す
る中で、日本は兵力が物資が不足し、ロシアでは革命運動がおこった。

 1905年、アメリカの仲立ちで
ポーツマス条約が結ばれ、日本はロシア
から
南満州鉄道の権利樺太の北緯50°以南を獲得した。また、ロシ
アは
韓国指導権を認め、日本は韓国に統監府をおいた。
 ただし、賠償金を得ることができず、それを不満に東京の日比谷で暴動
がおき、軍隊が鎮圧にあたる事件(
日比谷焼き打ち事件)がおきた。
東郷平八郎と戦艦三笠
三笠公園(神奈川県横須賀)
 1909年、初代韓国統監の伊藤博文が、韓国の青年の安重根(あんじゅうこん)に暗殺される事件がおき、これを契機に日本は
1910年、
韓国併合を行い、朝鮮総督府をおいて1945年まで植民地支配を行う。

 日清戦争と日露戦争を通じて、農村では土地を買い集める地主が増え、裕福な地主と貧しい小作人との格差が広がり、小作料
の軽減を求める
小作争議が各地でおこった。
 都市では農家の次男や三男や女子が工場で労働者として働き、厳しい労働条件の改善を求めて
労働争議も各地でおきた。

 こうした社会的な格差をなくし、平等な社会を求める
社会主義の思想が生まれ、社会主義運動として広まっていった。政府は、
1910年、天皇の暗殺を計画したという架空の事件をつくり、首謀者として
幸徳秋水らを死刑にして弾圧を行った。これを大逆事件
という。
2.明治時代の文化
 明治時代の文化は、開国の影響を受け、文明開化にみられるように、欧米の文化を多く取り入れた文化である。

 文学では、江戸時代までの戯作(人情本や滑稽本などの総称)や勧善懲悪をやめ、人情や世相をありのままを描こうとする
写実主義が主流となり、坪内逍遥は「小説神髄(しんずい)」で写実主義を主張した。
 
二葉亭四迷は、文語体にかわって口語体を取り入れた言文一致体を使い、「浮雲」を著し、近代文学の先駆を果たした。
 
森鴎外は、「舞姫」や「高瀬舟」を著し、空想・恋愛を重んじ、感情を優先し、自我や個性の尊重と解放を主張したロマン主義
作品をつくった。
 
樋口一葉は、「たけくらべ」、「にごりえ」を通して、巧みな心理描写で女性の悲しみを表現した。
 
島崎藤村は、社会や人間の生活をありのままを描自然主義の立場で「破壊」や「夜明け前」を著した。詩集の「若菜集」は
近代詩の先駆をなした。
 
夏目漱石は「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」で世に出ると、反自然主義の立場をとった。

 
与謝野晶子は、ロマン性に富んだ詩を出し、雑誌「明星」に「君死にたもうことなかれ」で、日露戦争を批判する詩を発表した。
 
石川啄木は、「一握の砂」で病気と生活苦の中での感情をうたった。
 
正岡子規は、写生に基づいた俳句と短歌の革新を行った。

 科学の分野では、
北里柴三郎は破傷風の血清療法、ペスト菌を発見。志賀潔は赤痢菌を、鈴木梅太郎はビタミンB1、高峰
譲吉
はアドレナリンを発見した。また、長岡半太郎は原子構造の研究に努めた。

 美術では、
横山大観は日本画に新しい道を開き、黒田清輝はフランス画風を油絵で伝えた。また、高村光雲は彫刻で活躍
した。

黒田清輝「読書」 横山大観「無我」 東京国立博物館

 音楽では、西洋の音楽を軍歌や学校の唱歌として取り入れ、
滝錬太郎は「荒城の月」や「花」などを作曲し、近代音楽を確立
していった。

 近代化を急速に進める政府は外国人教師を多く招き、その中の
モースは大森貝塚を発見した。
標準問題
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