■ Hello School 社会科 歴史(ハロ歴) No.19 昭和時代(3) 標準問題 ■
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1.次の[ @ ]〜[ N ]に適切な言葉を答えなさい。

 1950年の朝鮮戦争後、日本経済は大きく成長し、1955年には、一国の経済力の大きさを示す
[ @ ]は戦前の水準をこえ、1956年の経済白書には「もはや「[ A ]」ではない」と表現し、
日本は新しい経済局面に入った。白書ではその局面の対処を心配したが、1950年代後半から
約10年間にわたり、日本は[ B ]とよばれる経済の発展が続いた。

 1955年から30ヶ月以上の好景気が続き、初代天皇である[ C ]天皇以来の好景気ということ
から[C]景気と名づけられた。

 1958年から40ヶ月以上の好景気が続き、[C]景気をこえる大型のものであったことから、天照
大神の「天の[ D ]」の神話にちなんで[D]景気と名づけられた。

 1960年に、[ E ]首相が経済を発展させ、10年間で所得を2倍にする国にするという[ F ]
を出し、[B]にはずみをつけ、1964年に東京でアジア最初の[ G ]が開かれ、これに刺激され
て好景気がおこり、[G]景気とよばれた。

 また、鉄道では東京〜新大阪間に[ H ]が、道路では[ I ]高速道路[ J ]高速道路
が開通し、交通面で大きく発展した。それにともない、自動車をもつ人も増加していった。

 生活では、電気洗濯機、[ K ]、電気冷蔵庫の「[ L ]」とよばれる耐久消費財が普及した。

 電力では、茨城県東海村に日本で最初の[ M ]が建設され、1963年から運営が行われた。

 1966年から50ヶ月以上の好景気が続き、[D]の神話よりも前の国生みの「[ N ]のみこと」
にちなんで[N]景気と名づけられた。


2.次の[ @ ]〜[ S ]に適切な言葉を答えなさい。


 高度成長を通して、1968年には、資本主義諸国の中での国民総生産がアメリカについで第
[ @ ]位の[ A ]となった。1970年には、大阪で「人類の進歩と調和」をテーマとした、アジア
で最初の[ B ]が開催され、多くの企業や研究者、芸術家によるパビリオン建設や映像・音響
などのイベント制作・展示物制作が展示され、[A]となった日本の象徴的なイベントになった。

 1970年代になると、自動車、[ C ]、クーラーの「[ D ]」とよばれる耐久消費財が普及して
いった。また、国産の人工衛星が打ち上げれ、1980年代では[ E ]技術開発が進み、世界有
数の技術大国になった。

 その一方で、農業と工業の所得格差が広がり、農業人口が減少し、農業以外からの収入を得る
[ F ]が増加していった。さらに、大都市では人口の過密、農村では過疎化が進んだ。

 高度経済成長にともない、重化学工業が大きく発展したが、それと同時に[ G ]も発生した。

 富山県の神通川流域では、カドミウムが原因で骨が折れやすくなる[ H ]とよばれる病気が
発生した。

 熊本県八代海沿岸では、化学工場から排出された有機水銀(メチル水銀)が原因で神経がおか
される[ I ]とよばれる病気が発生し、同じような病気が新潟県の阿賀野川流域でも発生した。

 三重県の四日市市では、石油化学工場の煙から排出された亜硫酸ガスが原因で、ぜんそくや
気管支炎になる[ J ]が発生した。

 政府は、1967年に[ K ](1993年以降は環境基本法)を制定し、さらに1971年に[ L ](現在
は環境省)を設置して公害対策を整えた。

 1973年、第4次[ M ]がおきると、主要産油国が結成してつくられたOPEC(オペック:[ N ])
は、石油の禁輸、減産、価格の引き上げを行った。石油の輸入依存度の高い先進国は経済に大き
な打撃を受けた。

 日本でも石油価格が大幅に値上がり、トイレットペーパーや洗剤がお店から消え、購入が制限さ
れるなどの混乱がおきた。この混乱を[ O ]という。これ以降、日本経済は低成長が続き、1974年
の国民総生産はマイナス成長となり、高度経済成長期が終わった。

 1982年に、[ P ]内閣が成立すると、「戦後政治の総決算」のもとに行政改革を行い、今まで国
で運営していた日本電信電話公社、日本専売公社、日本国有鉄道を[ Q ]し、それぞれ日本電信
電話(NTT)、日本たばこ産業(JT)JRグループとした。
 また、女子差別撤廃の方針から、[ R ]を1986年から施行し、雇用形態の改変も行った。

 1985年に、アメリカの財政と貿易赤字(双子の赤字)を解決するために、ニューヨークのプラザホテル
にアメリカや日本などの五カ国が集まって、ドルの為替相場をドル安にする方向に合意するプラザ合意
が行われ、日本は輸入品を安く買えるようになった。

 政府は、国内需要(国内での購買力)を拡大(内需拡大)させようという政策を進め、日本銀行
は2.5%という今までにはない低金利で銀行にお金を貸し出した。

 輸入品が安くなったことと、お金(円)を借りやすくなったことで、円が世界市場や国内市場で出回る
ようになると、日本国内では、1986年から土地と株を買うようになり、地価と株価が異常な高騰が続
いた。資産価格だけが上がり、実体の成長はその価格成長についてこない現象が起こり、[ S ]と
よばれた。


3.次の[ @ ]〜[ M ]に適切な言葉を答えなさい。

 1957年に[ @ ]内閣が成立すると、日本の防衛力を増強させようとする政策がとられ、日米安全
保障条約の改訂の交渉がアメリカと始まった。

 この動きに、日本はアジアで行うアメリカの軍事行動に巻き込まれてしまうのではないかという批判
がおこり、各地で改訂の反対運動がおきた。この運動は[ A ]とよばれ、1960年5月には、10万人
を超える民衆が連日のように国会を取り囲んだが、6月に強行採決された。この改訂により、日本の
自衛力増強が義務づけられるなど、アメリカと軍事面での結びつきが強くなった。[@]内閣は、改訂
直後に総辞職し、池田内閣が成立し、政治の争点を安保から経済へ転換させていった。

 外交の面では、1965年、大韓民国との間で[ B ]を結び、国交を回復し、中国とは1972年に
[ C ]で国交が回復され、1978年には[ D ]が結ばれ、交流がさかんになった。北朝鮮とは、
現在は国交正常化交渉がすすめられている。

 領土では、アメリカから奄美大島や小笠原諸島が返還され、1972年には[ E ]が返還された。
戦後、ソ連領となっている歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の4島の[ F ]については、日本固有
の領土であると主張し、ロシアに返還を要求している。

 軍縮では、日本は1963に部分的核実験停止条約、1970年には核兵器拡散防止条約を多くの国々
とともに調印し、世界は軍縮の方向へと動いていった。日本は、1967年の[ G ]首相の国会答弁
に始まった核兵器を「つくらず」、「もたず」、「[ H ]」という[ I ]の方針を堅持した。佐藤首相は、
ノーベル平和賞を受賞し、返還された沖縄や、アメリカ軍の軍艦や戦闘機が寄港する際にも、この原則
を適用させた。

 文化の法律面も重視され、1949年に、法隆寺金堂の壁画が焼失すると、文化財保護の気運が高ま
り、1950年に[ J ]が制定され、1968年には[ K ]が設置された。

 日本人による世界的な功績も少なくなく、1949年に、[ L ]が物理学で中間子の存在を予想し、
日本人として初めて[ M ]を受賞した。


4.次のA〜Dは昭和時代に書かれた文献です。これについて、次の各問いに答えなさい。
 (文献は読みやすくしてあります。)

 A.日本側は、過去において日本国が戦争を通じて[ @ ]国民に重大な損害を与えたことにつ
   いての責任を痛感し、深く反省する。


 B.いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使いつくされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界
   のほかの国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、[ A ]の一
   時期に比べれば、その欲望のし烈さは明らかに減少した。もはや「[ A ]」ではない。われわ
   れはいまや異なった事態に当面しようとしている。


 C.第三条 日本とアメリカは相互に協力して、武力攻撃に抵抗する能力を憲法上の規定に従い
        ながら、維持し発展させる。

   第五条 日本とアメリカのいずれか一方が武力攻撃をうけた場合、自国の憲法に従って共通
        の危険に対処するように行動する。

   第六条 アメリカは、陸軍、空軍および海軍が日本国において施設および区域を使用すること
        を許される。


 D.[ B ]倍増計画は、すみやかに国民総生産を倍増して、雇用の増大による完全雇用の達成
   をはかり、国民の生活水準を大幅に引き上げることを目的とするものでなければならない。

(1)Aについて、以下の問いに答えなさい。
 @[ @ ]に入る国名を漢字二字で答えなさい。

 Aこの文献は1972年に[ @ ]との国交を回復する声明文です。何というものですか。

 Bこの声明の後に[ @ ]と1978年に結んだ条約は何といいますか。

(2)Bについて、以下の問いに答えなさい。
 @[ A ]に入る言葉を漢字二字で答えなさい。

 Aこの文献を書いた執筆者の心情を、次のア〜エの中から選び、記号で答えなさい。

  ア.今までの日本経済を間違いであると思っている。
  イ.今後の日本経済に対して十分な自信をもっている。
  ウ.今後の日本経済に対して当惑している。
  エ.今後の日本経済に対して悲観視している。

(3)Cについて、以下の問いに答えなさい。
 @この文献は1951年に日本がアメリカと結んだ条約を改訂したものです。その結んだ条約とは何
  ですか。

 Aこの改訂した条約を結んだ日本の内閣総理大臣はだれですか。

 Bこの改訂に対して、国民の反対運動を何といいますか。

(4)Dについて、以下の問いに答えなさい。
 @[ B ]に入る言葉を漢字四字で答えなさい。

 Aこの文献を発表した内閣総理大臣はだれですか。

(5)A、B、C、Dを時代の古い順に並び替えなさい。
 
5.右の写真は昭和時代につくられた
電気製品です。これについて、次の各
問いに答えなさい。


 (1)何という製品ですか。次のア〜エの
  中から選び、記号で答えなさい。

  ア.コンポステレオ
  イ.ラジオカセット(ラジカセ)
  ウ.ステレオカセットレコーダー
  エ.携帯ラジオ
 (2)この製品が販売されたとき、主にどんなキャッチフレーズでしたか。次のア〜エの中から
  選び、記号で答えなさい。

   ア.「リモコンを使わずに音楽を聴くことができます。」
   イ.「いつでも、どこでも気軽に好きな音楽を聴くことができます。」
   ウ.「外でみんなと一緒に音楽を聴くことができます。」
   エ.「電車の中で新聞を広げずにニュースを聴くことができます。」

(3)この製品によって、社会的な価値観に大きな転換が見られました。どんな価値観の変化で
 すか。次のア〜エの中から選び、記号で答えなさい。

  ア.「重厚長大」から「軽薄短小」へ。
  イ.「1家に1台」から「1人1台」へ。
  ウ.「大量消費」から「省エネ」へ。
  エ.「最終消費」から「リサイクル」へ。
解答と解説
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