■ Hello School 古典 文法 終助詞・間投助詞 練習問題 解答■
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1. (1)A.ウ  B.エ  C.ウ

(2)ア.基康  イ.俊寛
 




 お使いは丹左衛門尉基康という者である。船から上がり、「ここに都から
お流れなさいました丹波少将殿、法勝寺執行御房、平判官入道殿はおら
れますか。」と皆で声を上げて尋ねた。(成経と康頼の)二人はいつもの
熊野詣に出かけて、そこにいなかった。俊寛僧都が一人残っていたが、
これを聞き、「日頃からあまりに都に帰りたいと思っているので、夢を見て
いるのだろうか。あるいはまた天魔波旬が私の心をたぶらかそうとして
言うのだろうか。現実のこととは思われないようだ。と言って、あわてふた
めいて、走るというわけでもなく、倒れるというわけでもなく、急いでお使い
の前に走り出て、「何事ですか。私こそ都から流された俊寛です。」とお
名のりになると、(基康は)雑色の首に掛けていた文袋から、入道相国の
赦免状を取り出してさし上げた。(俊寛が)開いて見てみると、「重い罪は
これまでの遠流で赦す。早く都に帰る心づもりをせよ。中宮の御安産祈願
により、非常の赦が行われる。したがって、鬼界が島の流人、少将成経、
康頼法師は赦免とする。」とだけが書かれてあり、俊寛という文字はな
かった。礼紙に書かれてあるだろうと思い、礼紙を見たが見えない。赦免
状の奥の方から端まで読み、端から奥の方へ読んだが、二人とだけ書か
れてあって、三人とは書かれていない。
 そのうち、少将や判官入道も出てきた。少将が赦免状をとって読んでも、
康頼入道が読んでみても、二人とだけ書かれてあって、三人とは書かれて
いなかった。夢の中ではそういうことがあるのだろうと、夢であることをこと
さら思おうとするが、やはり現実である。現実のことかと思うと夢のようでも
ある。その上、二人には都からの託された手紙がたくさんあったが、俊寛
僧都のところには、安否の手紙は一つもなかった。「もともと自分たち三人
は罪も同じ罪であり、流された場所も同じである。とういうわけで赦免の時、
二人は召し返され、自分一人がここに残るのだろう。平家が私のことを忘れ
てしまったのか、書き誤ったのか一体どうしたことなのか。」と天を仰ぎ、地
に伏して泣き悲しんだが、どうにもならなかった。
  
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