■ Hello School 社会科 歴史(ハロ歴) No.8 室町時代 標準問題 ■
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1.次の[ @ ]〜[ S ]に適切な言葉を答えなさい。

 1318年に[ @ ]が即位した頃、鎌倉幕府の力は衰え、[ A ]とよばれる武士の集団が荘園を襲い、
年貢を奪ったりしていた。[ @ ]は幕府を倒す計画を立てたが、失敗して隠岐に流された(元弘の変と
いう)。しかし、この事件をきっかけに悪党や有力な御家人が挙兵を行なう。

 [ A ]の出身である[ B ]は大阪の赤城城と千早城で幕府軍と戦い、[ C ]は六波羅探題を攻
め滅ぼし、[ D ]は鎌倉を攻めて、北条氏を滅ぼし、1333年、鎌倉幕府は滅亡することになった。

 隠岐に流されていた[ @ ]は京都に戻り、年号を[ E ]として天皇自ら政治を行い、これを[ E ]
の新政という。[ @ ]は天皇中心の政治を目標としたため、鎌倉幕府滅亡に貢献した武士よりも、公家
に多くのほうびを与えたので、武士の不満を高めることになった。
 
 1336年、[ C ]は[ E ]の新政に不満をもつ武士を集めて京都を攻め、[ @ ]は[ F ](奈良県)
に逃れた。これにより、[ E ]の新政はわずか2年で終わった。

 [ @ ]は[ F ]で朝廷をつくり、[ G ]とし、[ C ]は光明天皇をたてて、京都で朝廷をつくり、
[ H ]とし、このような状態は3代将軍の足利義満が合一するまで約60年間続き、[ I ]時代という。

 室町幕府のしくみは鎌倉幕府のしくみとほぼ同じで、執権の代わりに[ J ]をおいた。[ J ]は北条
氏のように一族だけではなく、細川氏、斯波氏、畠山氏の[ K ]とよばれる一族が交代でついた。また、
鎌倉には[ L ]をおいた。

 足利義満は、1392年に南北朝を統一した後、中国の[ M ]と貿易を行なった。貿易を行なう際、[ N ]
とよばれる海賊と区別するために、[ O ]という合わせ札を使用したことから[ O ]貿易とよばれる。

 1467年、8代将軍である[ P ]の後継ぎ問題をめぐり、守護大名の細川勝元と山名宗全(持豊)が東軍
と西軍に分かれて、京都を舞台に戦乱となり、約11年間続く[ Q ]が始まった。

 [ Q ]によって、京都は焼け野原となり、また幕府の財政も悪化すると同時に幕府の力が衰えた。幕府
の権威が弱くなると、その権威に頼っていた守護大名の権威も落ち、守護大名の家臣であった武士が領地
を支配し始め、大名になっていった。これが[ R ]大名である。今まで下にいた者が実力で上のものを
倒すことを[ S ]といい、それがさかんに行なわれた時代を[ R ]時代という。戦国時代は[ Q ]から
約100年間も続いた。


2.次の[ @ ]〜[ S ]に適切な言葉を答えなさい。

 農業では、鎌倉時代から始まった二毛作は、室町時代になると関東まで広がり、西日本の先進地域では
米→麦→そばを育てる三毛作を行なう地域もでてきた。また、みかん、茶、綿を栽培する[ @ ]をつくる
ところもあった。

 工業では、全国各地に特産物がつくられるようになり、京都[ A ]の絹織物、尾張(愛知県)[ B ]の
陶器、灘(兵庫県)の酒、三河(愛知県)の木綿などがある。

 商業では、鎌倉時代では月に3回の定期市が、6回の[ C ]になるところもあり、取引として、勘合貿易
で輸入された銅でてきた[ D ]が使われた。

 鎌倉時代からあった[ E ]や[ F ]といった金融業が宋銭、[ D ]を使った高利貸しとして京都・奈
良を中心に繁盛した。

 鎌倉時代に、陸上輸送を行なっていた問丸は[ G ]とよばれ、輸送だけではなく、商品を卸したり、宿
を経営するようになっていった。また、陸上輸送に馬を使う[ H ]や牛に荷車を引かせる車借もあらわれ
た。

 産業の発展は都市の発展へとつながっていった。奈良、京都、鎌倉は政治の中心地として栄え、特に
京都は、応仁の乱の後は[ I ]とよばれる商人たちによって復興させ、自治まで行なった。

 農業や都市、産業が発展するにつれて、農村では[ J ]という自治組織をつくり、自分たちで村を運営
する[ K ]があらわれるようになった。惣村では[ L ]という会議を開き、村のおきてをつくり、時には
団結して領主に税の負担の軽減を求めたり、要求が受け入れられないと[ M ]とよばれる抵抗を行なっ
た。

 [ M ]とは、農民や商工業者、下級武士など[ N ]とよばれる人たちが主体となり、領主や土倉・酒屋
に対して武装して暴力によって要求した。

 1428年、近江(滋賀県)の馬借が蜂起をきっかけに、山城(京都府)さらには近畿地方一帯に波及した
[ M ]で、酒屋・土倉・寺院などを破却し幕府に借金を取り消させる徳政令を求めた。これを[ O ]とい
い、徳政令を求める[ M ]を[ P ]という。

 1485年、国人とよばれる有力な武士と土民が南山城(京都府南部)で、守護大名であった畠山氏の軍を
退陣させ、36人の国人が8年にわたって支配した。これを[ Q ]といい、国人が守護大名を追放して、自
分たちで支配する一揆を[ R ]という。

 1488年、加賀(石川県)の一向宗(浄土真宗)の守護の富樫氏を滅ぼして、国人・僧侶・農民の[ L ]
による自治が約100年間も続いた。これを[ S ]という。


3.次の[ @ ]〜[ S ]に適切な言葉を答えなさい。

 室町時代の文化は、前の鎌倉時代の武士の文化に貴族の文化がまじりあい、中国の元や明、[ @ ]
の影響を受け、簡素で趣のある、深い味わいのある文化である。

 室町時代の文化は、大きく2つに分かれ、1つは足利義満のころで、[ A ]に代表される[ B ]文化
と、もう1つは足利義政のころで、現在の和室の原形となる[ C ]をもちいた[ D ]に代表される[ E ]
文化に分かれる。

 文学では、南北朝時代に、南朝の貴族である[ F ]が歴史書である「神皇正統記」を書き、南朝の正
当性を主張し、歴代の天皇の業績が書かれている。また、南朝の立場で、鎌倉幕府の滅亡から南北朝の
動乱までを描いた軍紀物である[ G ]もある。

 短歌の上の句と下の句を数人でつなげていく[ H ]が行なわれるようになり、[ I ]が大成し、正風
連歌とよばれた。

 庶民の物語として、「一寸法師」、「浦島太郎」、「さるかに合戦」、「ものぐさ太郎」など短編物語である
[ J ]が生まれた。

 絵画では、中国から伝わってきた、墨の濃淡や強弱で風景などを描く[ K ]がはじめられ、禅宗の僧
であった[ L ]が大成した。

 芸能では、足利義満の保護を受けた[ M 2人 ]の父子が、もともと社寺の祭礼に奉仕する猿楽能に、
農民の間で伝統的に行なわれていた田楽を取り入れ、[ N ]として大成させた。世阿弥が書いた芸術論
として「[ O ]」がある。さらに、能の演技の合間に演じられた滑稽で短い劇である[ P ]も生まれた。

 その他の芸術として、鎌倉時代に栄西が宋からもたらした茶が日本でも栽培されるようになり、禅宗の僧
や武士、堺の商人たちの間で「[ Q ]」として広まっていった。また、生け花である[ R ]も足利義政の
時代あたりに大成された。

 寺院では、建物そのものだけではなく、水を使わずに砂と石で自然の山水をつくる[ S ]とよばれる庭
園もつくられた。


4.次のA〜Eは室町時代に書かれた文献です。これについて、次の各問いに答えなさい。
 
 A.なれや知る 都は野辺の 夕ひばり あがるを見ても 落つる涙は

 B.そもそも芸能の目的とは、多くの人の心を和らげ、身分の高い、低いの区別なく、感動を与えることで
  観客の幸福を高め、長寿の方法を知ることにあると、秘伝の中で言われている。…(中略)…だから、
  あまり人が理解できない芸能ばかりみせると、ほめられることはない。このため、能楽では初心を忘れ
  ることなく、時と場合に応じて、能楽を知らない人でも面白いものだと感じさせる能楽を演じることが大切
  である。

 C.一、[ @ ]から割り当てられた屋敷地内に村人以外のものを住まわせてはならない。

   一、よそ者を保証人なしで住まわせてはならない。

   一、村有地と私有地との境に関する争いごとは、金銭で解決せよ。

   一、犬を飼ってはならない。

 D.農民たちが反乱を起こした。彼らは口々に[ A ]だといっては酒屋・土倉・寺院などを襲い、ほしい
  ままに盗み、借金の証書を破り捨てた。管領がこれを鎮めたが、こうした反乱は日本が滅ぶ原因となる。
  農民が反乱を起こすなどというのは、日本が始まって以来のことである。

 E.このごろ都にはやるもの、夜討ち、強盗、偽綸旨(にせの天皇の命令)…

(1)Aの短歌は、室町時代のある将軍の後継問題をきっかけに起きた事件の結果として詠んだものです。
 その将軍とは誰ですか。また、事件とは何ですか。

(2)Bは室町時代のある人が父の言ったことを書き記したものです。その人は誰ですか。

(3)Cは室町時代に村で決められた「おきて」です。[ @ ]には「村」という意味の言葉入ります。その言葉
 を書きなさい。

(4)Dについて、[ A ]に入る言葉を書きなさい。また、この事件は何といいますか。

(5)Eについて、「偽綸旨(にせりんじ)」とありますが、このときの天皇は誰ですか。

(6)A〜Eを古い順に並べかえなさい。
解答と解説
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